日用美品

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連続トーク「日用美品」

皆川明 + 山本忠臣 + 猿山修  司会:菅野康晴

菅野:

「六九クラフトストリート」は、三谷龍二さんを中心にはじまって今年で6回目になります。今年のテーマは「日用美品」ですが、今年の春先に出展者で集まった際に、皆川明さんからのご提案で決まりました。「日用美品」とは、「日用品」と「美」という言葉を組み合わせた造語です。今日のこれまでのトーク3回のなかで「日用品と日用美品の差とは何か」ということを、登壇者のみなさんに聞いてきました。

皆川:

「日用美品」という言葉についてですが、「日用品」という日本語の文字自体から箪笥、棚、箱などがイメージされます。字としてのビジュアルと、日々のものという意味がうまく合わさった言葉だなと思いました。そこで、毎日使うものの美しさとはどういうものか、改めて考えてはどうかと思い、「日用品」に「美」を加えました。

では、今回、僕が出したものを紹介します。まず、フィンランドのアルヴァ・アアルトがデザインした「アルテックスツール」です。3つの丸椅子が重なっています。1933年に発表されました。展示しているのは古いもので、どなたかが代々使っていたであろうものをフィンランドで見つけてもって帰ってきました。今も同じ形で作られています。

もう1つは、ガラス作家のピーター・アイビーさんのお重です。底面と蓋がガラスで、脇が木でできています。お重だけど、底が見えるのがおもしろいなと思います。入れる料理によってハレとケを使い分けています。お正月にはイクラを敷き詰めて、ちらし寿司のようにします。普段使いには、冷たい野菜などを重ねていくと、底がガラスですから、レイヤーになって下の料理も感じることができます。木の質感が静かで簡素でケを感じさせますが、ガラスが合わさるとハレの景色になります。

もう1つは、お皿が重なっていますが、普段うちの食器棚にあんな風に置いてある、という状態です。和食器は洋食器に比べるとシェイプや素材、色や絵つけがいろいろありますが、料理に合わせて器を買い、作った料理に合わせて使うので、バラバラです。バラバラですが、似たような納まりの良い状態、それぞれが折り合いをつけて納まっている。それが「日用美品」という状態じゃないかと思いました。

山本:

三重県と京都でギャラリーをやっています山本忠臣です。これまでもいろいろな雑誌でコップや飯碗を紹介していますが、それは僕が個人的に美しいと感じるものでした。今回は、家族全員がそろう空間で使うものを選びました。ギャベという絨毯と、掛け軸をかけるための自在鉤と、ダイニングチェアです。

ダイニングチェアは6脚あります。子どもが4人いて、家族で同じ椅子を使っています。後ろに望月通陽さんという染色家の方に、ハンダゴテで名前を書いてもらっています。展示してあるのは僕の椅子で「タダオミ」と書いてあります。子どもが巣立ってももっていけるように考えました。

猿山:

デザイナーの猿山修です。麻布に事務所 兼、古いものと自分の関わった仕事を紹介する場所をもっています。僕は大振りのお椀、やっとこ鍋、シャープペンシルの3点を出しています。

シャープペンシルは、僕が生まれた頃にデザインされて、短期間販売されたモデルです。機構的には戦前からあって、形は単純で古く伝統的なものです。芯が1.18㎜と太く、替え芯もありますが、伊東屋にも東急ハンズにも売っていないので、骨董屋で買っています。

会場:

(笑)

猿山:

材料は銀92.5%。一応、純銀の枠に入る良い材料を使っています。安くはありませんが、重さと銀特有のやわらかさと、古いものなので傷だらけで、それが何ともいえず良いです。今は、デザインはほとんどコンピューターで最終的にフィニッシュしますが、どんなグラフィックでも、ものでも、最初はシャープペンシルを使います。若い時からずっとそうです。

普通の0.5㎜のシャープペンシルだと、ちょっと出し過ぎると書いていてもすぐに折れてしまい、それがストレスで、かといって製図用の2、3㎜あるシャープペンシルだと、すぐに先が太くなって、それもまたストレスです。一番良いものを探していたら、偶然これを骨董屋さんで見つけました。

芯が手に入りづらいと言われて、その親父さんのところにもありませんでした。すぐに芯を探して、やっと手に入れて、使い出して、ずっともち歩いて、15年ほど使った時に旅先でなくしました。これは何年か前に、また骨董屋さんで同じ型を見つけて買ったものです。

イギリスのメーカーで、もともとのオリジナルの型は今でも作っていますが、このデザインはもう生産していません。でも、この中途半端なデザインが好きです。60年代のプロダクトが好きというわけではなく、ペンのデザインとしてはこれが好きです。

菅野:

使いやすくもあるのですか?

猿山:

そうですね。店先で新しいものを試し書きしても、しっくりこないんですよね。新しいのはちょっと長くて、ゴツい。これは、見た目は大きいけど、すごくやさしくて、1回なくしてまた出会っていますから、見るたびにかわいいです(笑)。長くつき合うと思い入れが入るのか、良いところばかり見てしまいます。

菅野:

皆川さん、「日用品」という言葉に「美」を加えた理由はなんでしょう?

皆川:

ものに求めるのは所有する満足より、それとつき合っていく時間を想像して、それがあることがうれしい、出会ったことがうれしいということ。物質として手に入れたいと思っているわけではないから、美しさの基準はシェイプではなく、暮らしでのつき合い方を想像できることなのかなと思います。

菅野:

「日用美品」はどこかにすでにあるものではなく、日用品を使いつづけることで「日用美品」になる、ということですね。皆川さんが「日用美品」になるであろう日用品を選ぶ基準は何でしょう?

皆川:

自分の場合は、そのものの成り立ちへの関心です。手に取って暮らしのなかに入れていく時間と、それができるまでの時間の両方を、使いながら想像したい。どんな人がいつ、どんなプロセスで、どんなことを思って作ったのかということを、ものから感じる。そこに惹きつけられます。自分の暮らしのなかでくり返し再認識していくことができそうだなということに、直感的に惹かれます。

2回目のトークで話されていたカイ・フランクの無名性でいうと、人はそのものに名前があろうとなかろうと自分の基準で選べる。でも名前があることで、カイ・フランクという人はどの時代に生まれて、どういう国で、どういうカルチャーで、どういう時代背景で作ったのかということを読み解ける。そういう意味では、名前があることの価値は大きいのではないかと思います。

菅野:

山本さんの椅子は望月通陽さんの文字入りです。

山本:

基本的には、長く使うことを子どもに教えたいという思いがあります。子どもの時に与えて、家から巣立ち、40、50歳になった時にどう感じるのか。それを意識させたい。名前がなければ自分の椅子だという自覚を子どもはもてないと思いました。望月さんは下書きせず、いきなり熱したハンダゴテで書くんですが、それがおもしろいので、望月さんのフリーハンドの字が好きだという理由もあります。

菅野:

この世に1点しかないものになりますね。

山本:

子どもに、これはモーエンセンの椅子だ、とか、いちいち説明しないですけど、それに触れるだけで感受性は養われると思います。使っているものから、知らず知らずのうちに影響を受けることは、子どもの感性を育てるうえで大事なことだと思っています。

皆川:

ミナ・ペルホネンの「mina」は「自分」という意味です。作っている間は、アトリエのみんなが、作っている自分たちのものとして精いっぱい作ります。それを次は、着る人が自分のものとして着てくれるように、という思いがあります。

ものが好きという感覚は、自己愛に近いと思うんです。自分の好きなものが誰かの手にわたって、次はその人が自分のものとして好きになる。誰かひとりではなく、いろんな人にわたっていきながら、その時それぞれの自己愛で満たされていくのが、ものと人との幸せな関係だと思います。

猿山:

僕は開発のテーマ自体を提案してものづくりすることもあるし、こういう作り手がいて、こういう技術があるから、こういうものを考えてほしいという具体的なアイテムを言われることもあります。どちらかというと後者の方が多いです。

古いものや、今、流通しているもののなかで、自分も実際に使い続けて良いなと思っているものがあって、アイテムはちがってもこういう素材感のものを提案してみたいと、常に思っています。テーマを与えられた時も、自分からこういうものがほしいなという時も同じです。

古いお盆の素材を変えて写したことがあって。形もきれいだし、軽いし、丈夫だし、自分が使うことで経年変化を楽しめるだろうと思って開発しました。3年目は思ったとおりになって、10年経ったら、ちょっとちがって。

菅野:

木の盆?

猿山:

金属です。もともとはピューター(✳︎スズを主成分とした合金)のお皿ですが、お盆に見立てました。ピューターの1/3くらいの厚さの真鍮で作ったんです。毎日使っていたら3年、5年で真鍮らしい変化を遂げて、さらに変わっていく。

10年後、変更を余儀なくされるほど自分の思いと変わってしまうものがあります。予想したより良くないものもあれば、その逆もあるわけです。たとえば木のお弁当箱は、自分が考えていた寿命より長く使っています。最初の汚れはじめは嫌だったんですが、3年、5年経つと汚れではなく、古い木のきれいな味わいになってくる。

そういう体験は子どもの頃からあって。僕はもう50歳過ぎですが、長くつき合ってきたものとの間にそういう経験があります。それを開発の時は、これがどうなるかを一生懸命追っていくんですね。使うのが自分とはちがう人だったら、ちがう結果が出るだろう。このぐらいの時が経つと、こんなことに気がつくのではないか。経年での良し悪しはあるにせよ、いろいろ想像してワクワクします。

菅野:

ものと人の関係が他に代えられない、かけがえのないものになると幸せな関係となることがよくわかりました。その意味では茶道具など、数寄者がコストを気にせず職人に特注したものはそうなりますね。でも皆川さんも猿山さんもそういう作り方はしない。少ないとはいえ量産品です。

皆川:

ファッションの量産は既製服となりますが、この服が今、この社会にあったら、きっと喜んでくれる方がいるだろう、というところからものづくりをスタートして完成させていくことが、ものを作っている自分の気もちは安定していられます。

誰かから発注されたものを作るということは、発注した方の満足が価値のすべてになります。でも、既成のものは自分たち作り手のことを同時に考えられるわけです。着る人にとって喜びがあること。着る人が、ずっと長く着ていたいと思えること。そして作り手にとっても、このプロセス、時間、材料、労働に満足できて、それを手にする人も満足になることを考えるのが、デザイナーとしての理想的なバランス感覚だと思います。

菅野:

ご本人からは言いづらいかもしれないけれど、それを「正しさ」と言ってもよいのではないでしょうか。

皆川:

確かに、自分からはなかなか言いづらいですね。でも正しいと思えます。それが自己満足にもなるし、他者の満足にもなるということは、矛盾がなく、循環しやすいということになります。そういう意味では、正しいのではないでしょうか。

山本:

今は中学生から携帯電話をもって、そこから情報をすべて入手するので、感受性が薄くなっていると思うんです。よく聞くのは、大学生があまり自己主張をしない。車には興味がない、買い物もしない、本は図書館で事足りる。エコで良いとは思うのですが、感受性や好奇心は確実に欠落していっていると思うんです。

自然素材の工芸品は汚れるし、割れるし、木の器は反ったりもしますが、そこからいろいろなことを感じられます。だから実際にものを手に取ることが今、すごく必要だと僕は思っています。僕が椅子を子どもに与えるように、ご両親がそういう器を家庭で使う。生活のなかに入れることが何より大事だと思います。

猿山:

大量生産の話ですが、僕は自分では作れないので、多くの場合は産地にお願いして、専門家に作ってもらいます。ひとつの工場で材料の調達から製品の最終的な仕上げまでできることは、ほとんどないですが、産地であれば製品化して、箱詰めして、流通するまでができます。高い技術と良質の材料という、単にものを作る機能だけではなく、人をまとめるコミュニケーション能力も使わせてもらって、ものづくりをしています。そうすると、良いものが安く作れる。良いものとは、こういうものを使ったらきっと良いと思ってもらえるだろうという、僕らのなかでは正しいと思っているものです。

菅野:

なぜ安くなるのですか?

猿山:

たとえば型屋さんは、型を一気にたくさん作る。そうすると手間も省けるわけです。それから材料を一気に買うと安く買えます。

菅野:

合理化とスケールメリット。

猿山:

そうですね。それから試作をチームでやるので、個々が問題点に気づける。特に型代の高いものは作ったら簡単に変えられないので、かなりシビアに自分の受けもった仕事に集中するわけです。問題点が発覚してブラッシュアップすることもありますが、製品化した時にかなりレベルの高いものになっています。

今まで20年以上同じチームで作り続けているものもあるので、ノウハウの蓄積があって、当然、技術も高まる。人間関係も多くの場合は良くなります。そうやって自分たちは正しいと思っているものを作るためには、時間と大量生産を前提とした産地でのものづくりが必要です。

菅野:

産地には生産だけでなく、梱包や発送等、流通のノウハウもありますね。

猿山:

最近はちょっと難しい面もありますけれど。昔は産地問屋がありましたが、今はほぼ崩壊していますから。

菅野:

猿山さんは産地と組むことも多い一方、個人の工芸作家とのつきあいもあります。産地と異なる、個人作家的工芸のよさとは何でしょう?

猿山:

たとえば波佐見や有田周辺でやっている個人作家は産地の恩恵を受けています。でも彼らは産地に返してもいます。

菅野:

何を返すのですか?

猿山:

たとえば陶芸家の内田鋼一は、組合に働きかけて、組合の建物を使って、四日市に自分のお金で美術館を作りました。もともと彼は自分でやろうとは思っていなかったけれど、埒が明かないからやった。

菅野:

あえて産地の広告塔になると。

猿山:

そうですね。

菅野:

個人作家としての三谷さんについては?

猿山:

松本周辺はもともと木材の豊かなところですし、木工品の生産はあったので産地といえるかもしれません。木工をやっている人が多い地域で一番に浮かぶのは家具です。もしくは小物。ですが三谷さんは木の器を作った。僕が三谷さんの仕事を見てきて思う一番の功績は、木工のイメージを打ち壊したことです。

菅野:

産地的工芸からは生れないもの。

猿山:

三谷さんの仕事が産地に影響を与えていると思うんです。家具をやっている人は当然、端材が出ますが、それまで薪にくべていたような端材に愛をもって、材料として扱う。そういうことは産地全体や、たとえば産地から離れた人にも必ず伝わっていくと思います。

菅野:

三谷さんの器が市場で求められるようになると、産地でも作ってみようという、ある種のフィードバックが起きるということですね。

ご質問はありますか。では皆川さん、日用品とは何でしょう。

皆川:

日用品とは、日々の暮らしのルーティンに入ってくる道具だと思います。

菅野:

くり返し使うもの。

皆川:

ええ。だから今回の「日用美品」は、暮らしのなかに飾ってあるアートワークとは線を引きながら選ばれたなという気がします。

菅野:

昨年のトークで井出さんが、今、人々が日常で一番使っている、つまり一番身近な日用品はスマホだろうといっていました。

皆川:

手にする頻度ではそうかもしれないですが、たとえば椅子やテーブル、もしかしたら家に備えつけの棚も、実際に手で触れていなくとも、毎日無意識にでも関わっていれば日用品だと思うんです。

菅野:

日用品的な器や服に対して、日用品的でない器や服とは?

皆川:

そういえば、うちのブランドのコンセプトは「日常の特別な服」なんです。それは「日用美品」とつながっているかもしれない。今、たまたま思い出せて良かったですが。

会場:

(笑)

皆川:

毎日使うものだからこそ、気もちが高揚したり、大事に思ったり、いとおしく感じるものの方が良いのではないか。日常の服というと、消耗品的な、すぐダメになってもいい、気をつかわなくていいものと思われがちでした。でも日常的なものだからこそ、気もちにもっと作用する服があった方が良いのでは。そう思ったことが、このブランドをはじめる大きな理由でした。

菅野:

「日常の特別な服」の「特別」は、今回のテーマでいう「美」に置き換えられる?

皆川:

そうですね。決して装飾的な美を表しているのではありません。お茶道具を数寄者が職人に頼むというやり方ではなく、「既製服であるべき」とは、そういう意味合いがあります。

菅野:

皆川さんは、その「ちょっと特別」を、どうやって服に付与するのですか?

皆川:

猿山さんのお話にあった、シャープペンシルを見て毎回感じるような「喜び」ですかね。喜びがそのものの価値のほぼすべてであって、ファンクションはそれに付随する機能でしかない。そのものと一緒にいる喜びこそが、そのものの価値だから、パーソナルな喜びこそ特別ということですよね。

質問者(客席から):

自分で洋服を作ったりしながら、東京の高級なブランド店で働いています。そこで違和感を覚えたことがあって、接客していた時に、お客さんが真剣に悩みながら「この財布は7万円もするから、できるだけ傷まないように使おう」というようなことを言ったんです。自分は、その財布は使ってもらってこそ価値が出ると思うんですが、高いものを買ったから行動が制限されるというのはおかしいと思いました。その人がものに縛られているように感じました。

高級ブランドで働いていると、リペアの件数が日本はダントツで多いです。10年前のものをどうにか直してくださいともって来るお客さんもいるのですが、商品として本来の機能を保っていないものを無理やり延命させているように感じます。

ファストファッションが浸透して、日本人はものを大切にしない人が多いという風潮がある一方で、販売員をしていると、ものに囚われ過ぎて行動を制限する人もいるのではと感じています。自分がものを作って売る時に、長く使って欲しいとは言いづらい。日本人はものに執着しすぎていると感じたりはされないですか。

皆川:

僕らは直すことを、もとに戻すためのリペアとは考えていなくて、リメイクに近い考えです。何年か使われて状態が変わったものとお客様がその後どうつき合いたいか、ということをヒアリングして、たとえば破けてしまったら刺繍を施していいですか、とか、パーツを違う布で切り替えてちがう服にしてもいいですか、とか、相談しながら新しいものに変えていきます。

最初はこのデザインだったからこれに戻さないと、うちのブランドのアイデンティティが壊れる、とは思いません。お客さまの意に沿わないことを無理矢理ブランド側が押しつけることが、僕らのアイデンティティとは異なることです。

先ほどの話にあったように喜びを一番大事と考えるなら、形が変わっても良いということです。着ていくうちに変化したなら、このものがどうしたらその人の暮らしのなかであり続けることができるのかを考えるのが、僕らのリペアです。

菅野:

小林さんが最初の対談の時に、ずっと使っていても常に新しさを感じるものが「日用美品」といっていました。その「新しさ」が、小林さんにとっての喜びなのですね。

皆川:

ものの機能が失われても、新しい機能をどう一緒に作るのかを考えられたら、お客さまにとってちがう命になると思える。この方はまだここから、このものとつき合ってくれるのだなということは、僕らにとってもうれしいことです。

猿山:

僕は自分のギャラリーで「繕う」という展覧会をしました。

皆川:

金継ぎは、まさにそういうことですね。

猿山:

はい。今回、展示で出している鉢も、もととは全然ちがいます。一回壊れてしまったけれど、繕ったことで、僕は個人的に前より気に入っています。

菅野:

壊れて、繕うことで、日用品が「日用美品」になった。

猿山:

そうですね。「繕う」の展覧会では、金属、木工、ガラスなども使っています。本来は木だった失われた部分をガラスに直したり。

皆川:

あれは素晴らしかったです。

菅野:

ものを大事に使い続けると、新たなものを買わなくなりますよね。山本さん、売り手としてはどう考えますか。

山本:

売り手としては売らないと駄目なのですが、使い続けられるなら、それでいいとも思います。極端な話ですが、三つ椀というものがありますが、汁椀、飯椀、漬物を入れるお皿、これだけで楽しんで生活できる方がいるのなら、それでいいと思います。ただ、多くの人は新しい出会いを求めて変化したいと思う。新しいものを求める好奇心があって、新たなものを生活に入れることで何かが変わっていくのではないでしょうか。

皆川:

作り手が、長く使えて修理できるものに、そうでないものの3倍の時間をかけて、3倍の値段にしたとします。それを購入した人が3倍長く使えたとすると、3分の1の値段で3分の1の時間しかもたないものと、トータルのお金の動きは一緒です。であれば、良いものを長く使えた方が楽しいし、幸せだと思うのです。だから丁寧に時間をかけて良いものを作り、長く使ってもらう。

重いものをゆっくり回すのと、軽いものを何回も回すのが、もし労力が同じなら重いものをゆっくり回す暮らしの方が、実感がある、ということだと思います。だから、ゆっくりでいいのです。その代わり、良いものが作れて使える方が社会にとっては有意義だと思います。

猿山:

環境負荷も低減できる。

皆川:

結果的にそうですね。