工芸のウチ.ソト

4

連続トーク

森岡督行 + 山本忠臣 + 猿山修   司会:菅野康晴

菅野:
「工芸のウチ・ソト」展 はこの「mm(ミリメートル)」という会場が新しくできたのを機に、六九クラフトストリートの一環として今年からはじまった展示と連続トークショーの企画です。
三谷さんから「工芸のウチ・ソト」というテーマで品物を出す、なおかつ、それぞれのものについてコメントをつける、という宿題が出て、ここに並んでいるのは、出展者の方がそれに応えた品々です。
「工芸のウチ・ソト」という言葉の解釈はそれぞれに委ねられました。なので、なぜこれがウチで、これがソトなのか、それを考える展示にもなっていると思います。

では、トークショーをはじめます。まず森岡さん、お願いします。

森岡:
はい。僕はお題をいただいたときに、これしかないと思ったんです。『工芸の道』という本の最初に工芸の定義が示されて、「工芸は浄土からの贈りものだ」みたいなことが書いてある。民芸の内側には仏教経典があると理解しました。
それから柳宗悦が晩年に集大成としてまとめたのが『美の法門』で、仏教的な思想観を自らの言葉で書いています。じゃ、工芸の外側はこの本だろうと。

山本:
猿山さんは民芸をどう考えているのかお聞きしたいです。

猿山:
民芸については僕の周辺でもよく話題になりますから、考えることはあります。今日の3回目のトークでも、小林さんがオオヤさんから民芸と工芸の関係について聞かれて答えていましたけど、僕はピンと来なくて。読むのも聞くのも楽しいんですが、自分でその先について思いを馳せることはないです。

山本:
僕はいわゆる産地(※三重県伊賀市)に生まれて、身近に抹茶茶碗を作る作家も多いのですが、なぜお茶碗がご飯茶碗の10倍もの価格で売買されているのか、よくわからないまま、今でも自分のギャラリーでは抹茶茶碗は扱っていないです。
お茶を習いもしましたけど、やはり禅とか宗教的な方向へ向かっていく。お茶の理想は仏教の教えを体現化することなのでしょうけど、今のお坊さんを見ていても、仏教の教えが守られているように見えない。相当お金をもっていて、お茶道具を買い漁っている様子を京都だとよく見かけますが。
今、国外で工芸が認められているようで、日本に住む若い作家に外国からすごい注文が入ってくるんです。その作家が作れないと断ると「100万で買うと言っているのになぜ売らないんだ」と海外の人は思う。でも、僕はそこに工芸の道徳性を見ている。工芸の真んなかにある美徳を感じています。

森岡:
どうして作家さんは受けないんですか?

山本:
これ以上は作れない状況だから。無理して作ってクオリティが落ちるのも嫌だし、単価を上げたら若い人に買ってもらえないから。そんな、すごく真っ当な道徳性のもとで作家活動をされているんです。もちろん生活できるレベルで収入を得ないとだめですけど、民芸の人にはギリギリのところで美徳とするメンタルがあるのではと感じています。

森岡:
そんな美徳が海外の人から、むしろ求められているのでは、とおっしゃっていましたね。

山本:
はい、そんな気がしています。彼らは、値段が今後どんどん上がるであろう現代美術を購入することに、じつはもう飽きているんじゃないか。投資目的で売買することに、もうしらけているんじゃないか。じつは、すごく純粋な部分でものを所有することに戻りたいんじゃないかと思っています。

森岡:
すごくわかります。自分は銀座で本を売っていますが、海外のお客さん、特に中国と台湾と韓国のお客さまが多いんですが、印象的なことをおっしゃる方がいました。「日本人と同じものを読んで、同じものを使いたいんだ」と。
東アジアの政治的な関係はギクシャクしているイメージがありますが、一方でわれわれの生活にある身近なものに、すごく注目している。猿山さんは、そんな感触ないですか。

猿山:
爆買いブームが完全に終わったといわれていますよね。今年の4月に、はじめて前年同月の売り上げを下回ったそうです。原因は、客単価が下がったから。つまり買いものの対象が変わって、われわれが普段使っているようなものがほしい、という人が増えたからだそうです。うちは、まぁ、お客さん自体がそんなに来ないですけど、それでもやっぱり感じます。

山本:
「わびさび」という言葉があって、日本人なら大体わかるけど、説明しろと言われると、なかなか説明できない。日本って、そういう言葉で伝えづらいことを感じ取って、受け継いで、次世代へ渡している。そういうことが工芸でも、たとえば洋服でも古道具でもあると思うんです。

森岡:
皆川さんも2回目のトークで同じようなことをおっしゃったんです。ものと思考の関係について、それがすごくおもしろかったので。(客席の皆川さんに向かって)もう一度お話してもらってもいいですか。

皆川(客席から):
素晴らしい進行ですね。

会場:(笑)

皆川:
作り手の思考が物質化されてものとなり、それを使う人がものから思考を受け取る。ものと思いが人の間で循環しているんじゃないか、というお話をしました。

山本:
ものを受け取る側の感覚で思考が変わって、次へつながっていく。半分は受け手の思考で成り立っている。それがすごくおもしろいと思います。

森岡:
変化して、次につながる。
先ほどの「わびさび」ですが、私も人生42年くらいのなかで「わびさび」を直感したことがありました。長谷川等伯の「松林図」を国宝のカタログで見た時に、なんでこれが国宝なのか、全然わからなかったんですよ。でも、ある時、東京国立博物館に行ったら、それが常設でドンと展示してあったんです。それを見に、歩みを進めているときに「あ、これはすごい!」と思ったんです。
その展示室では、安土桃山の家屋の光を再現していたんですけど、暗がりに行くと、墨絵が浮かんで奥行きがあるように感じられる。遠近法とかではなく、変なエネルギーみたいなものが湧いてきて、現世じゃないような、ご先祖さまが出てくるような雰囲気があって。その時に、光の加減っておもしろいな、すごいなと思いました。

坂田さん(※「古道具 坂田」店主の坂田和實さん)が、同じものでも、地中海の光のもとで見るのと、日本の部屋で見るのとでは、だいぶちがうというようなことをおっしゃっています。坂田さんの店は光量を抑えていて、あそこも「わびさび」を具現化するところなのかなと思います。

山本:
どうですか、菅野さん。坂田さんの話が出ましたが。

菅野:
坂田さんは「日用品を売っている」「なんでもない、ありふれた生活道具を売っている」というのが口癖のような人です。「平凡なものこそ美しい」と、柳が書いていることと同じことを言っています。
坂田さんは柳の影響を受けたことを公言しています。ふたりが選んでいる古物は「元」道具であって、現代生活ではなかなか使えないものです。平凡な道具、日用品こそ美しいと言いながら、実際に選んでいるのはもう使えないものがほとんどなのです。そこがふたりのおもしろさであって、あくまでも使うものしか選ばない利休とのちがいです。
工芸も美術も近代に輸入された概念です。その後は美術が上、工芸は下、という時代がずっと続いています。柳はそれに反発したし、坂田さんも反発しています。そこで、美しいのは美術だけじゃない、道具こそ美しいと言ったのです。

そうした坂田さんや柳の影響を受けて、三谷さん、多治見の安藤雅信さん、輪島の赤木明人さんなど、いわゆる生活工芸派の作家たちが実践したのは、日用に使えて、しかも美しい道具を作るということです。坂田さんも柳も作り手ではありません。生活工芸派の作家たちは、普段使いで、美しい道具を、しかも比較的安価で作る。それが彼らの画期的だったところです。
「やまほん」は、ギャラリーとして初期からそのジャンルを扱ってきました。今回、山本さんは、植松永次さんの茶碗とオブジェを出展しています。「やまほん」をはじめた頃、昼はギャラリー、夜は地下鉄工事のバイトをするようなしんどい時に、植松さんの花入れを食卓に置いて眺めていると、日々の疲れを忘れると話してくれたことがあります。花入れとしては使わずに、ただ眺めているだけで癒される、と。とても印象に残る話で、工芸とは何かを考える時に、よく思い出します。

工芸デザイナーとしての猿山さんは、厳密な図面を作り、工場あるいは作家にきちんと形を作らせますね。猿山さんは、山本さんが植松さんの器から感じていたような、工芸品がもつ用途以外の作用については、どうお考えですか。

猿山:
僕は古いものであっても、基本的に見て楽しむものは売っていないです。たとえば、もともとの用途とはちがっても家具としてこう使えるよ、という使い方も含めて、そのものの魅力を伝えているつもりです。
そのなかから、きっちり作られていて経年変化の姿の美しさとか、たとえばガラスをふくらまして、ある方向に伸ばしていくと自然に出てくる線とか、それを実現したいということはあります。

菅野:
猿山さんの図面が展示してありますけど、上から、横から、下からのきっちりしたあの図面を焼きもの作家に渡すんですよね。手仕事の作家に、ですよ。

会場:(笑)

猿山:
できる人はできるんです。

菅野:
そういう作家と組む。

猿山:
でも、じつはゆがんでいるんですよね。

菅野:
そのゆらぎは許容する?

猿山:
ものによっては、そのゆらぎを期待して描いているのもありますが、基本的には「このふくらみ方がちょっとちがうからやり直してくれ」。できあがったら「使ってみてどう?」というのを共有したい。

菅野:
許容するゆらぎと、そうでないものは、どこで線引きをしているんですか。

猿山:
たとえば「せっかくきれいにふくらんだのに、そこで止めるとつぶれてしまう、だからこれを残した。やりたいのはここだったけど、こっちも同じくらい魅力的でしょう」というように、僕が求める形を共有してくれたうえで作られたものは、たとえ数字や形がちがっていても許容します。図面の形がまだ一度も実現されていないのに「これでいいんじゃない」というのとは意味がちがいます。

菅野:
伊賀は桃山時代から茶陶が焼かれた土地であり、近代の大産地でもあります。山本さんの実家も焼きもの屋さんですね。産地の方法をよく知る山本さんから見て、猿山さんのような器づくりはどのように感じていますか。

山本:
僕はドナルド・ジャッドの作品がすごく好きで、「やまほん」の設計段階からジャッドの作品を壁にかけたら、という想定があったから、一概に伝統を背負う産地の人間としてだけの考え方ではないと思います。しかも僕は猿山さんのデザインが好きで、現に今、猿山さんの展覧会を「やまほん」でやってもらっていますし。
僕自身は、完璧を求めることと、それが崩れること、両方を許容している、というんでしょうか。猿山さんも古いものを扱われているから、経年変化で崩れる先を想定していると思うんです。たとえば焼きものの作家でも、細かい貫入が入って、これは絶対に良くなる、とか、50年100年先を計算している人は少ないですが、います。

菅野:
猿山さんが、そこまで精密な図面を引きながら、工業製品ではなく、手仕事の作家と組む理由はなんですか。

猿山:
たとえば、ある人に頼むと、いつも工業製品を作ってもらっている人とはちがう解釈で、でも僕が思っていた絵と同じようなものを作ってくれる。「ちゃんと伝わったな」と思えるんです。長年パートナーシップを組んでいる人たちは、僕が描いた絵を実現するために「お前が見たいのはこれだろう」と勝手に解釈を変えるんですよね。
逆に、この人なら、この図面をグチャグチャにしてくれるだろうと期待を込めて頼んで、大成功した人もいます。

菅野:
井山さん(※陶芸家の井山三希子さん︎)?

猿山:
はい。

会場:(笑)

猿山:
僕は彼女の仕事が大好きで、そのなかでも一緒にやった仕事が一番好きです。彼女もきっと楽しんでくれただろうと思っています。

菅野:
前の回のトークで、お客さんとの関係をどう考えているかという質問がありました。森岡さんはいかがですか。

森岡:
僕は、読み手と書き手の間に境界線を感じていないお客さんが多いなと感じています。読み手は本を買うだけでなく、書き手の出版記念イベントへ出向いて、時にはおみやげを渡して、直接やりとりする。書き手を中心としたコミュニティみたいなものが形成されているなと感じています。

山本:
僕は1回目に話をしたんですけど、工芸の器は作り手半分、使い手半分というか、作り手が余白を残すことがあると思うんです。日本の工芸家の多くが、自分の作意を消そうとしています。それは、使い手がその器に見たい部分を残してくれているともいえるし、極力手数を減らして、土とか木とか、素材にも関心が向くようにしているのだと思います。
だから創作の半分は買い手のみなさんにあると思っています。つまるところ作り手も使い手も同じような関係ではないかと思います。

菅野:
山本さんには、焼きものにとてもくわしいですね。お客さんにはどのくらい説明するのですか。

山本:
最近は、するようにしているんですけど、以前は説明なしで買ってほしかった。説明しても、しきれないというか、わからないんじゃないかと思っていました。最近は変わってきて、関心をもっていただけたらいいなと思って説明することもあります。「うつわノート」の松本さんみたいに、釉薬には何が入っていてとか、こと細かには言わないですけど。

菅野:
猿山さんはいかがですか。先ほどの微妙なゆらぎの話などは、作り手と猿山さんの間では共有できるけど、われわれのような普通の客だと気づかないことが多いと思うんです。

猿山:
むしろこっちが気づかないことを使い手の立場から言われることが多いです。僕と作り手、自分たちの関心は別にあって、それ以外のものが見えていないことがあるわけです。それは反省にもなれば、これでいいという確認にもなります。
2年ほど前からプロジェクトを開始して、試作はしたけど、まだ発売にいたっていない食器のシリーズがあって、それはある女性のスタイリストが使い手として「こんなのがほしい」というひと言から始まっています。

菅野:
どなたですか?

猿山:
伊藤まさこさんです。デザインしているのは僕で、いつもと同じチームで作っているんですけど、仕上がってくるものがちがうんです。

菅野:
プロの視点と、使い手であるお客さんの視点はちがうもので、そこに優劣はないということですね。

猿山:
そうですね。ある時は共感されたり、ある時は疑問をもたれたり。お客さんの言葉のなかから次のデザインの可能性の種をもらうこともあります。

菅野:
会場に金工作家の竹俣さんがいらしているので、お話を聞きましょう。猿山さんが今回出している「tayo」という金属のシリーズには竹俣さんも鏡面加工で参加されているのですね。

猿山:
実際は、制作の細かい進行上のこととか、僕が出したものに対して作り手側の文句を言葉やわらかに伝えてきたり、こっそり材料を変えさせて、それが良かったりするから、だいたいそのまま採用したり、そういう大きな役目も担っています。

竹俣(客席から):
僕は金沢で生まれ育って、今もそこでものづくりをしているんですが、金沢の工芸は、ほぼイコール伝統工芸なんです。僕は小さい時に工芸という言葉がすごく嫌いで。なぜかというと、政治色の強いイメージがあったから。石川県は人間国宝がものすごく多くいて、そういう人たちと工芸が近い印象があったからです。

僕は小さい時から、自分で言うのもあれですけど、器用で、いろいろものを作ってきたんです。だからものを作る仕事に就きたいけど、金沢にいると必ず伝統工芸とくっついてしまうだろうし、それが嫌でジュエリーからはじめました。アパレル寄りというか、伝統とは逆のトレンドに近いところでものづくりをはじめたんです。

自分が作りたいものが定まってくると、生活に近いところのものも欲するようになって、カトラリーを作るようになりました。今、猿山さんとやっているプロジェクトはインテリア寄りですけど。
工芸に対してコンプレックスというか、嫌いだなという思いがあって。工芸家というと威張っていて、ピラミッドの上にいて、それ以外は何も見ない、という印象がすごく強かったんです。でも、生活用品を作りはじめた時に、三谷さんとか安藤さん(※陶芸家で「ギャラリー百草」オーナーの安藤政信さん)とお会いして、自分とすごく距離が近いなと感じました。

三谷さんの東京での個展を見に行った時に、そんなに僕のことを知らないのに三谷さんから「みんなでご飯食べるからおいでよ」と言われたことがすごいうれしくて。「桃居」の広瀬さんが「三谷さんとご飯を食べられることなんて、もう二度とないかもしれないよ」と言うので、金沢に帰る予定だった日にホテルを取り直してご飯を食べに行きました。でも、そのあとから2、3カ月に1回は一緒に食事してて、今もここにいるんですけど。

会場:(笑)

竹俣:
独立しても食べられない時期があって、マーケットを想定して売れるものを意識した時期もあるんですけど、30代になったときに、猿山さんややまほんと出会ったり、三谷さんや安藤さん、赤木さん(※漆芸家の赤木明人さん)と出会ったり、奇跡的にいい環境に恵まれたので、僕はすごくラッキーだったなと思います。

先週、倉敷のクラフトフェアに招待されて出店したんですけど、2次会で不思議な会話になったんです。35、6歳の作家さんが多くて、僕はみんなよりちょっと年上でした。ある作家さんが「クラフトフェアにはじめて受かったから丸眼鏡を買います」って言うんですよ。

会場:(どよめき)

竹俣:
ちょっとピンとこないと思うんですけど。ほかのある作家は、「僕はボーダーのシャツを買いました」。また別の作家は「ハンチングを買いました」って。

会場:(笑)

竹俣:
僕はいつもどおり真っ黒い格好でサングラスをかけて準備をしていて、「異様な感じがしました」って言われたんです。僕より下の世代では、クラフトフェアに受かったから眼鏡を変えて、ボーダーのシャツを着て、ハンチングを買うことになっているんだなとびっくりました。

菅野:
(客席に向かって)○○さん、いかがですか。

○○:
(突然の指名に動揺しながら)ちょっと待ってください。

菅野:
明日からのクラフトフェアに参加される焼きものの作家さんです。

○○:
僕もまさしく35、6歳なんですけど、ボーダーを買う気持ちは、ちょっとわかる。スタイルとして見せようとしている人は多いかもしれない。ものだけではなく、どういう服を着て、どういう生活をして、どういうスタジオでやっているのか、総合的に見せようと意識している世代なので。クラフトフェアでは、作品だけでなく、自分も見られるのが前提なんです。だからそういうことをする。

山本:
いやぁ、初耳ですね。

森岡:
おもしろい観点。

菅野:
生活工芸派の作家、三谷さんや安藤さんの世代は、発表する場や評価される場があまりなかったから、自ら発言してきたという意識が強いですよね。

三谷:
松本でクラフトフェアをはじめた頃は、誰も自分のことを知らないから、外から見られている感じはまったくなかったですね。コツコツやっていただけです。ただ、僕たちが文章を書いたりするのは、前の世代とはちがったかもしれない。
僕がクラフトフェアの機関誌を作っていたときは、作家のみなさんに執筆を依頼すると断られることが多かったけど、ある時期から書きたい人が増えました。ものを作って、書いて発信して、両方をやっていかないといけないんだと意識が変わってきたんだろうと思います。それがファッションにもつながっているのかもしれない。

菅野:
格好だけの人は淘汰され、ものをきちんと作っている人が、世代を問わず残っていくと信じたいですよね。