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小林和人(「Roundabout」「OUTBOUND」店主)
山本忠臣(建築家、「gallery yamahon」主宰)
竹俣勇壱(彫金師、「kiku」「sayuu」店主)
菅野康晴(『工芸青花』編集長)
三谷龍二(木工デザイナー、「10cm」店主)
菅野:
今年で「六九クラフトストリート」は8回目となります。三谷さんは、明日から2日間開催される「クラフトフェアまつもと」の創立メンバーで、30年間ずっと関わってきました。そちらにひと区切りをつけて、六九商店街で「六九クラフトストリート」をはじめたという経緯があります。
クラフトフェアは作家の直売なので、展示も作家ごとになるわけですが、クラフトストリートはギャラリーごとの展示です。そこがクラフトフェアとクラフトストリートの大きなちがいといえます。三谷さん、六九クラフトストリートをはじめるとき、出展者を作家からギャラリーに変えたのは、どんな理由からですか?
三谷:
クラフトフェアは、主催する側も参加する側も作る人たちのイベントなので、選考の際に良いとか悪いとか、作家同士で評価をつけることがすごく難しいんです。たとえば千利休とか柳宗悦は作る人ではなかったけれど、彼らのものを見る目が作家たちに大きな影響を与えてきたと思うんです。
今の日本では、作る人はたくさんいるけれど、それをどう見るか、ものの見方を提示できる人は非常に少ない。たとえば菅野さんみたいに編集をする人、あるいはギャラリーをやっている人。そういう人たちがおそらく現在、利休たちのような立場にいると思うんです。そういう人たちの目から見てもらうと、作家には見えなかった部分が見えるのではないかと考えました。
それから、ものを作ること、見ることに加えて、言葉にすることが大事だと思うんです。クラフトフェアでは言葉にすることがうまくできなかったので、六九クラフトストリートではギャラリーや編集の人が選んだものを見せてもらい、それについてのトークショーをして、ものを作る、見る、さらに言葉にするということを少しずつでもやっていきたいなと考えました。
菅野:
六九クラフトストリートがはじまった2012年からこれまでの間に、生活工芸界でどんなことがあったか、ちょっと振り返ってみます。ひとつは2015年2月に村上隆さんが「gallery’s eye」を開催しました。村上隆さんは現代美術の作家ですが、東京の「カイカイキキギャラリー」に10軒のギャラリーを集めて、現代工芸を展示販売しました。これもギャラリーの役割を問う企画でした。村上さんの意を受けて、埼玉「うつわノート」の松本武明さんが仕切り役になり、「桃居」や「DEE’S HALL」、名古屋の正木なおさんのギャラリーなどが出展しました。「ギャラリーやまほん」も参加していますね。
また、輪島の漆作家である赤木明登さんが、クラフトフェアに対する疑問を季刊誌『住む。』の連載で書いたのもこの年、2015年です。作家が直売することにより、ギャラリーの存在理由が失われつつあるのではないか、果たしてそれは工芸にとって良いことなのか、といった問題提起で、反響を呼びました。
「gallery’s eye」は図録があります。私も見に行きましたが、それでギャラリーの役割がはっきりしたかというと、どうでしょうか、状況はあまり変わっていない気がします。松本さんとは今でも会うとその話しています。とはいえ、それ以降、作り手と使い手と売り手、この場合はギャラリーですね、その三者の関係を考えようという気運は、細々とかもしれませんが、今に続いていると思います。
それでは、みなさんに現代の工芸界、といっても伝統工芸品ではない、普段使いのものを売る生活工芸ギャラリーのあるべき姿について聞いていこうと思います。
山本:
三重と京都で「yamahon」というギャラリーをやっています。三重は今年で19年経ちます。京都が8年目に入ります。ギャラリーは空間も含めて店主の視点を感じられる場所だと思うんです。お店によって作家のセレクトはちがいますし、置かれる環境でものの見え方は大きく変わります。選ぶ人の目が色濃く映るので、ネットショップとはちがう見え方があると思います。
菅野:
六九がはじまった当初と今で、一番のちがいがSNSの普及ですね。工芸界ではインスタグラムを使う作家が多く、消費者と作家がダイレクトに結びつきやすい状況になっています。その点ではクラフトフェアの流行以上に、ギャラリーの存在意義が問われる時代です。作家がSNSなどでセルフプロデュースして自分の作品を売ることと、ギャラリーを経由してお客さんに届けるありかたと、何がちがうと思いますか?
山本:
まだ展覧会を多くされてない作家はSNSで発信することも多いですが、空間で見るのとSNSのイメージとは若干ズレがある。そのズレをギャラリーのテイストとして見せることができると思います。
菅野:
場所、空間が大事ということ?
山本:
そうですね。
菅野:
そこで実物を手に取ってもらうのが大事、と。
山本:
そうです。
菅野:
ギャラリーでものを買うという体験自体が、ひとつの価値になり得るという考え方ですね。
竹俣:
僕は2002年に独立したんですけど、営業しても取り扱い店舗がゼロでした。自分が作りたいものを作ったけど、誰もいいと言ってくれなかったので、止むを得ず自分のギャラリーを作ることにしたんです。まず、自分の作ったものをどうやったら良く見せられるかという空間作りをはじめて、あとから人のものをセレクトしたという流れです。
菅野:
竹俣さんのギャラリーの商品は、自作が8割くらいとのことでしたね。作家として、ほかのギャラリーとつき合うことも多いはずですが、現代におけるギャラリーの役割をどのように考えていますか。
竹俣:
自分の店だけではつながれないお客さんとかファン層に、どうやったら自分の作ったものをつなげていけるか。ちょっとメディアっぽい、そういうところがギャラリーに期待するところです。
菅野:
自分だけで直売するより、予期せぬ広がりがあり得る、そこに期待する、と。三谷さんはご自分のギャラリーもあるけれど、もちろんいろいろなギャラリーと、しかも長くつき合ってきています。今の時代、ギャラリーに期待することはなんですか。
三谷:
クラフトフェアはギャラリーを通さず、お客さんと直接やりとりをする。でも、それは現在のSNSとまったく同じなんです。作る人と使う人が仲介者を入れないで出会いたいという欲求は、時代の流れとして止めようもなかったようなこと。ですから、ギャラリーを通過しないで作家が自分で販売をすることについては、ネット社会の現在において、もうどうこう言ってもしょうがない気がするんです。
それでも僕は、ギャラリーと一緒にやることはすごく大事だと思います。たとえば本を作る時は編集者と一緒にやりますよね。自分で気づかない部分や見えない部分を編集者が引き出してくれる。それは作家にとってすごく大事なことだし、それはギャラリーでやることも同じだと思うんです。ひとりではなく、一緒にやることによって出てくる価値というか、良さというか、それが必ずあると思うんです。
たとえば「yamahon」での展覧会は、数日かけて打ち合わせをやって、そのやり取りのなかで少しずつ空間の作り方が決まってくる。僕が作るものの話をしていると、山本くんが会場構成を考えてくれるわけです。作家は自分のものを作るだけで精いっぱいじゃないですか。ある時は小さい家を会場に作ってくれたことがありました。また、ちがう時には、言葉と写真を渡したら、それを小さい本にしてくれました。僕が「yamahon」で経験したようなことは、ひとりではできないこと。ギャラリーと一緒にやることは、作り手としても大変おもしろいことなんです。
菅野:
作家にとってもプラスになるし、見に来たお客さんにとっても、ほかの三谷龍二展とはちがう特別な体験になる。
三谷:
そうですね。展覧会といっても作品をただ陳列台に並べるだけというものが昔は多かった。でもそれだとモチベーションが上がらない。やはりゼロから空間を作っていく方がワクワクしますよね。会場がもっている力は作り手に強く影響している。「場」はすごく大事で、それはネット上ではなかなか難しいんじゃないでしょうか。
小林:
自分の場合は、1999年に「Roundabout」を常設の店としてはじめて、その後2008年に「OUTBOUND」を開いてから企画展を開催するようになって、ギャラリー的な側面も帯びてきたという感じです。自分のなかでは、クラフトフェアと店あるいはギャラリーという場は対立しない要素です。クラフトフェアがきっかけで新たな作家と出会うこともありますし。
店あるいはギャラリーの役割は何かというと、先ほど三谷さんがおっしゃったことと通じるんですが、作り手自身が気づかなかったところに光をあててクローズアップすること。それから、まだあまり知られていない新たな才能に着目して紹介することも大きな役割だと思います。
具体的に言いますと、ちょうど今 「OUTBOUND」で個展を開催していただいている陶芸家の鮫島 陽(みなみ)さんとは、一昨年、大阪の「灯しひびとの集い」というクラフトフェアで出会いました。まだ24歳で、陶芸をはじめて4年。彼女に限らず、特にキャリアの浅い作り手は自身の仕事を見てもらえる場も限られているので、クラフトフェアという場所はギャラリーとの接点として有効なんじゃないかと思います。
あとSNSとの関連性ですが、インスタグラムとかでいい感じに自分の作品を発信できる人の人気は過熱する一方で、逆にそうじゃない人、そういうのは一切やらないけど非常に良いものを作る人もじつは少なくない。そういう作り手に光をあてて紹介することも、店あるいはギャラリーの役割だと思います。
菅野:
みなさん兼業ではないですよね。つまり制作やギャラリー運営を副業としてやっているわけではない。そうなると、表現および主張と、経営すなわちビジネスをどのように両立させるかが重要になります。たとえば先ほど三谷さんが話した「yamahon」の展覧会、私も見ましたが、確かに体験の質としてとても良かった。お客さんは満足したはずです。しかし、そこまでやらない、あえていえば、適当に並べるだけのギャラリーでも、三谷さんの器の値段は変わりません。最近、それはどうなんだろうと思うのですが。
山本:
どうでしょう…。
菅野:
作家にとってもプラス、お客さんの満足度も高いという「yamahon」のようなギャラリーと、そうではないギャラリー。両者の作品価格が同じというのは、何かを軽んじていないかと思うんです。場の質によって作品体験の質が上下するなら、作品価格も上下して良いのではないでしょうか。
山本:
どうでしょうね。僕は、同じでいいと思っています。ものって、場所によって見え方が変わると思うんです。コンクリートの打ちっぱなしと昔ながらの日本家屋では、ものの見え方が変わるし、ギャラリーの作り込んだ空間での見え方と、生活空間での見え方はちがうから…
菅野:
場の価値すなわちギャラリー独自の創意工夫を価格に反映させることはせず、つまりそこに競争原理は導入せず、みんな仲良くハッピーになれば良い、と。
山本:
そうですね。
竹俣:
僕はカトラリーを作り始めて3年目ぐらいの時に「桃居」の広瀬さんから声をかけてもらって。「イェーイ!」ってなるわけですよ。僕の前の展示が青木良太くんで、僕の次の週が伊藤環さんで、売れっ子にはさまれて僕のが売れるんだろうかって不安だったんですけど、経験したことのない売り上げを記録しました。
その後から、いろんなギャラリーから声がかかるようになって、今は年間20本くらいある展覧会をくり返しやっているんですけど。たまに「自分の力で売れているわけではないだろうな」と思う。「桃居」や「yamahon」だから売れるけど、まだ人気のないギャラリーで展覧会をやったら、果たして売れるんだろうかと思う時があります。
菅野:
わかりました。話を変えます。
去年、2018年は工芸界にとっては大きな年でした。赤木明人さん、三谷龍二さん、安藤雅信さんという生活工芸派を代表する作家たちの、おそらく主著になるであろう3冊が立て続けに出ました。なかでも三谷さんの本は、「生活工芸とは何か」についての教科書になり得る内容でした。本のタイトルは『すぐそばの工芸』です。三谷さんは、ご自分の考えをまとめるつもりで書いたとおっしゃっていましたが、「すぐそば」とつけた理由を教えていただけますか。
三谷:
たとえば、遠くで起こった戦争は実感できない。湾岸戦争の映像はすごい衝撃ではあるんですが、人が死んでいるのに実感が湧きにくい。そういうのはやばいなと感じたのです。それから、たとえば政治も遠い感じがして、僕らにはわからないことがたくさんある。
そういう遠くのことより、まずは自分の身近なこと、自分でよくわかる具体的なところに関心を持つことが重要なんじゃないかという思いがありました。だから僕は、身近でよくわかるもの、実感できるものからはじめていこうと決めたんです。
伝統工芸はすごい手をかけますから、ちっちゃい重箱が100万とか200万とか、すごく高価になる。そうすると、生活から遠いもの、デパートで見るだけのものになってしまいますよね。それから美術は、かなり観念的な部分があった。そうではなくて、もう少し実感に近いところ、自分が咀嚼できる範囲で……確かにそれは狭い世界かもしれませんが、狭くてもいいからクリアにわかるものを大事にしたいという思いがありました。
それから、松本に住んでいますので、民芸が身近にあります。でも、喫茶店やとんかつ屋さんの言う「味の民芸」っていうのは、よくわからない。あと民芸って、僕たちの時代だとディスカバージャパンみたいな、「日本を再発見しよう」みたいな感じもあって、現在いわれているようなものとちがう、古いものに対する憧憬が入っていた。
今の生活を考えれば、Tシャツやジーンズで暮らしている。そこを素直に受け入れられるような器や工芸があってもいいんじゃないか。遠くに行ってしまったいろんなものを、自分の身近な生活感覚に、「すぐそば」に工芸を引き寄せてみようと思ったわけです。
菅野:
読んでいただければわかりますが、この本は、三谷さんの工芸観が凝縮されつつも明快な内容です。「すぐそば」とは、本の中では「親密さ」「普通さ」と説明されています。また手触りの大事さについても書かれています。「手で触れるもの」としての工芸。要するに「近い」もの。
三谷:
そうです。
菅野:
あと印象的だったのは「弱さ」という語。永遠には続かないもの、かりそめかもしれないけれど、その場、その時を良いものにするのが「すぐそばの工芸」だと。ただし、もちろん工芸の世界はそれだけではありませんね。権威の象徴だったり、永続性を求めて作られたものだったり、そうした「遠い」「強い」ものの方が歴史的にはむしろ主流でしょう。三谷さんは、広い工芸の世界のなかの、かなり狭いところを主張しています。そして、それが「生活工芸」だと考えている、というふうに読みました。
小林:
生活工芸における「すぐそば」とは、使い手が器を見た時に暮らしに取り入れるイメージが湧きやすいこと。そのものからもそうでしょうし、三谷さんの暮らしがメディアで取り上げられて一緒にパッケージされているせいもあると思います。
もうひとつが……すごい失礼な言い方になっちゃうかもしれないけど「もしかしたら自分でも作れるかもしれない」と思える身近さ。超絶技巧のものとはちがう。土を掘って、薪を割って、身体的負荷が非常に必要とされるようなもの作りとも、たぶんちがう。
音楽でいうと、ヒップホップが登場した時に、聴いた人は自分でもできるんじゃないかと思って、実際にやってみて、それでワァッと世界中に広がったと思うんです。生活工芸の、敷居の低さを感じさせる部分は「すぐそば」感なんじゃないかと思っています。
菅野:
作家志望者の立場からも「すぐそば」と感じる、と。
小林:
まぁ、三谷さんの器は三谷さんにしか作れないと思うんですけど。
菅野:
そうですね。生活工芸派に関しては、その「真似できないところ」とは何かということを、今は考えたいなと思っています。
竹俣さんのいる金沢は伝統工芸派の牙城でありつつ、一方で21世紀現代美術館で「工芸未来派」展、これは超絶技巧系、美術工芸の新派みたいな感じですが、そうした展覧会が行われていますが、どちらにしても「すぐそば」的ではありません。そういうところで制作を続けていて、竹俣さんは、三谷さんのいう「すぐそばの工芸」をどのように感じましたか。
竹俣:
金沢で工芸といえば、伝統工芸のことなんです。僕は10代ぐらいまで工芸にあんまりいいイメージがなくて、政治家とか権力者みたいな印象があったんですよ。僕はもの作りのスタートはジュエリーなんですけど、工芸って呼ばれないようにしたい意識がすごくありました。
それが独立したあたり……2000年代初頭に、権威的ではない工芸の人たちが出てきた。それは三谷さんとか安藤さんとか赤木さんで。この人たちって、自分が知っている工芸の作家とは全然ちがう。単純に格好良いと思いました。
菅野:
ものより先に「人」に惹かれた。
竹俣:
はい。その人に対して「すぐそば」というか、距離感が近い。どんなに好きでも河井寛次郎にはもう会えないけど、自分が持っている器の作り手とは、会おうと思えば会える。声をかけることが可能なジャンルというか。伝統工芸の作家にも会えますけど、「ねぇ、これどうなってんの?」とは言えない。まあ、三谷さんに「ねぇ」と言ったことはないんですけど。
菅野:
人柄の近さですね。その親近感は、彼らの作品にもいえるでしょうか。
竹俣:
いえます。僕は、会ったことない人のものはほとんど買ったことないがないです。
菅野:
なぜ?
竹俣:
まぁ、お金を払いやすい……という感じです。
三谷:
工芸や美術の文脈からいえば、器と絵画はまったくちがう出発をしていて、異なる意味合いをもっているものですけれど、生活の中ではその距離を強く意識することはありません。自分の部屋では器も壁にかかっている絵も、僕たちは同じような感覚で見ていると思うんです。
これは、いろんなものをフラットに感じる、ポストモダンの時代の感性でもあると思うんです。洋の東西を問わず、古さや新しさも問わず、世間的な価値のあるなしも問わず。いろんなことから解放されて自由な目でものを見たら、どう見えるか。
そうすると、すごく立派とされているものが、そう見えなかったり、自分はあんまり欲しくなかったり。いろんな価値観を少し壊す感じ、垣根が取れていく感じになるのかな、そういうものの見方になっていくと思うんです。
これまで工芸っていうと、ちょっと重厚感があって、たとえばNHKにしても『家庭画報』にしても、もったいぶったように見せてくる感じがあった。でも、僕たちが今、暮らしで使うものは、もっとラフで、生活に溶け込んでいて、それほど気に留めないで使っている。
そんな自由で何気ないものだけど、それだからといって、なんでもいいわけじゃない。自分たちの日々の生活感覚でバランスを取りながら作ったもの、選んだもの。それが「生活工芸」なんだと思います。
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